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2/7 2012
 帰国して約2週間。ひたすらボルダリングジムに通っている。


毎日3時間ぐらい登ると手が痛くなってしまいホールドを持とうとしても手がすぐにはがれてしまう。


いつも登り終わった後は手がボロボロで早くもタコができ始めてきた。


旅で出会ったクライマーの手は皆大きくて力強かった。自分の手も少しづつ強い手に近づいていっているのかと思うとボロボロになった手を見て毎回嬉しく思う。


今はクライミングのことが頭から離れず起きてから寝るまでクライミングのことを考えてしまう。春になって暖かくなれば山にも登れる。とても楽しみだ


この前雪が降った日の二日後金華山に登りに行った。雪をかぶった金華山は初めてだったので新鮮で今ままで登ったことのあった金華山とはかなり違う印象だった。静かで、とても優しい。


山頂に立った時に体をスーッと突き抜けるような気持ちよさは街では味わえないものだと思うし、クライミングで岩のトップに立った時の達成感や途中の燃え滾る闘争心みたいなものは結構久しぶりの感覚だ。



旅をしていなかったらクライミングには出会わなかったか、出会ったとしてももっともっと遅かったと思う。



「旅は人生の道しるべ」とゆう意味の言葉をもった指輪を彼女のお姉ちゃんに出発前にもらい、友達がくれた方位磁針にぶら下げていつも身につけていた。その指輪の文字通り旅は僕が没頭できるものを与えてくれたし進みたいと思う方向をハッキリさせてくれた。


その結果今は日本に帰るのがベストとゆう結果になったわけなので、旅を終わらせたことに対しての後悔はまったくない。



当初の目的だったアフリカまでをあのまま流れていても僕は最後にこのブログに良い旅だったとかそれなりにたくさんの事を書いたと思う。



でもクライミングを1番に置きそのために一度日本に帰ったほうが効率的なんじゃないかと思ってしまった以上あのまま無理に旅を続けていても変なモヤモヤが付きまとったと思う。



怪我をしたのも良いきっかけだったのかもしれない。



ある分野の仕事についてそこで経験を積んでいろんな人に会えば人は成長していくと思う。分野が違えば成長の仕方は同じ人間でもその分野の数や出会う人の数だけ違うと思う、僕はその中で、クライミングや登山を中心にアウトドアに育てられたい。



何が自分に関わって自分がどう変わっていくかは分からない。しかし今は登る。ただひたすら登ることを繰り返す。



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2/7 2012
 帰国して約2週間。ひたすらボルダリングジムに通っている。


毎日3時間ぐらい登ると手が痛くなってしまいホールドを持とうとしても手がすぐにはがれてしまう。


いつも登り終わった後は手がボロボロで早くもタコができ始めてきた。


旅で出会ったクライマーの手は皆大きくて力強かった。自分の手も少しづつ強い手に近づいていっているのかと思うとボロボロになった手を見て毎回嬉しく思う。


今はクライミングのことが頭から離れず起きてから寝るまでクライミングのことを考えてしまう。春になって暖かくなれば山にも登れる。とても楽しみだ


この前雪が降った日の二日後金華山に登りに行った。雪をかぶった金華山は初めてだったので新鮮で今ままで登ったことのあった金華山とはかなり違う印象だった。静かで、とても優しい。


山頂に立った時に体をスーッと突き抜けるような気持ちよさは街では味わえないものだと思うし、クライミングで岩のトップに立った時の達成感や途中の燃え滾る闘争心みたいなものは結構久しぶりの感覚だ。



旅をしていなかったらクライミングには出会わなかったか、出会ったとしてももっともっと遅かったと思う。



「旅は人生の道しるべ」とゆう意味の言葉をもった指輪を彼女のお姉ちゃんに出発前にもらい、友達がくれた方位磁針にぶら下げていつも身につけていた。その指輪の文字通り旅は僕が没頭できるものを与えてくれたし進みたいと思う方向をハッキリさせてくれた。


その結果今は日本に帰るのがベストとゆう結果になったわけなので、旅を終わらせたことに対しての後悔はまったくない。



当初の目的だったアフリカまでをあのまま流れていても僕は最後にこのブログに良い旅だったとかそれなりにたくさんの事を書いたと思う。



でもクライミングを1番に置きそのために一度日本に帰ったほうが効率的なんじゃないかと思ってしまった以上あのまま無理に旅を続けていても変なモヤモヤが付きまとったと思う。



怪我をしたのも良いきっかけだったのかもしれない。



ある分野の仕事についてそこで経験を積んでいろんな人に会えば人は成長していくと思う。分野が違えば成長の仕方は同じ人間でもその分野の数や出会う人の数だけ違うと思う、僕はその中で、クライミングや登山を中心にアウトドアに育てられたい。



何が自分に関わって自分がどう変わっていくかは分からない。しかし今は登る。ただひたすら登ることを繰り返す。



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タイ(トンサイ
ロッククライミングのメッカと言われるタイ、トンサイビーチ。

朝起きてものの五分も歩けばすぐに岩場があり、あさの7時半にもなれば何人かのクライマーが登りはじめている。メッカと言われるだけあってビーチにいる9割がクライマー。そしてメチャメチャ強い人達ばかり。

何人か日本人クライマーの方にも出会うことができ、クライミングパートナーも得て、ガッツリクライミング漬けの生活を送ろうと思った矢先、怪我をしてしまった。

岩と自分のロープをつなぐヌンチャクとゆう道具が落下時に自分の手の平に4cm程突き刺さった。幸い骨には異常なさそうで、数針縫っただけですんだけれど、一週間以上登れずに見てるだけとゆうのは辛過ぎるので残念ですがトンサイを離れることにしました。

そしてちょっと突然ですが明日日本に帰国する事にしました。

ヌンチャクが刺さった時に「ゴリ!!」と骨に当たる音がしたので一応しっかり日本の病院でみてもらいたいのと、クライミングのトレーニングのために。

ロッククライミングに出会ってしまって以来頭の中はクライミングのことでいっぱいでクライミングのことしか考えられません。

クライミングをしながら旅を続ける方向も初めは考えていたのですが、コスト的なことや、しっかりクライミングだけに集中できる環境はどちらかということを考えたときにこのまま旅をしながらよりも一度帰った方が今の自分にはいいと思い帰国することにしました。

日本のクライミングジムや岩場でシッカリ鍛えてトンサイはもちろんアメリカ、ヨーロッパなどの岩場を登りに行きたいと思っています。

2年くらいのつもりで旅に出たのに自分でもビックリするくらい早い帰国になりましたが、夢中になれるものが見つかり気持ちはとてもスッキリ、とゆうかものすごくワクワクしています。

3ヶ月とゆう短い旅で何か変わったかと言われればクライミングに出会ったこと以外そんなに自分の中で大きな変化は無いと思います。

ただ、旅をしたことで更に自分の気持ちに素直になれたことは確か。2年間コツコツ準備をしてきた旅をたった3ヶ月で終わらせてしまうのは正直もったいないのかなとも思ったけど今の自分は何を1番優先したいのかを考えた時に旅を終わらせるとゆう選択は以外とすんなり決まりました。

今はクライミングでもっと強くなっていつかクライミング関係の仕事に付きたいなと思ってます。でもぶっちゃけこの先どう自分が思うかなんて分かりません。また違うことがやりたくなるかもしれない。ただ、旅の準備をしてる時もそうでしたが、今自分がやりたいことに対しては本当に素直に向かって行ける自分がいます。それだけはこれからも絶対に忘れたく無い。

そして旅先で出会った人達は素晴らしい人達ばかりでした。僕は先に日本に戻りますが、日本から皆さんの旅が良いモノになることを祈っています。

そしてクライマーの皆さん、また何処かの岩場でお会いしましょう!

でわまた!!


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ネパール2
明けましておめでとうございます。

トレッキングが終わった後もいまだにネパールに滞在しています。

今は彼女が日本から遊びに来てくれて、カトマンヅの騒音から逃れポカラでのんびりしています。

日本から遅れて約3時間。ネパールでも新年を迎える歓声が聞こえてきました

寝ぼけながらになんとなく外がにぎやかだなと感じたことを覚えています。

肝心の自分達はとゆうと年越しの瞬間は寝過ごしてしまいました…僕達らしいといえば僕達らしいのですが

明日彼女は日本に帰ります。この5日間彼女には本当に素敵な時間をプレゼントしてもらいました。

旅をしてるってことも少し置いといてただただネパールを楽しめた時間でした。本当に感謝です。

そして僕はとゆうとこの後6日にタイに戻りクライミングの聖地と言われているクラビに行って一カ月ほどクライミングに明け暮れようと思っています。

今年は僕の友達にも何人か環境がかわる人がいて、自分の店を開くための新たな第一歩として京都に移住する友や、デザインの勉強をしに東京へ行く友。などなど

目標に向かって少しずつ変化していく友達の活躍を楽しみにして、自分ももっともっと思い切ってみようと自分に言い聞かせる日々。

旅に出て3ヶ月。とにかく自分には足らない物がたくさんあるなと感じさせられる3ヶ月でした。

しかし、足らないものがあるとゆうことはすごく幸せなことで、その分イメージ出来る理想の自分になりたければ今!!今やろうとゆうのが単純かもしれないけれど今自分が旅の中で1番大切にしていることです。

旅の中で沢山の人に出会い、たくさんの価値観を感じさせていただきました。自分もこれから会う人、ブログなどを見てくれている方に1つの価値観として心のどこかに残っていられればなと思います。

みなさん良い一年を、そして旅人のみなさん、良い旅を!僕の旅もまだまだ続きそうです。



最近は海外の友達も増えてきたのと手軽さから写真はFacebookで更新することが増えました。Facebookのアカウントをお持ちの方はよければ一度高田昌彦で検索して見てください。

最後に個人的な独り言ですが…夏雄さんおめでとぅ〜!!!!!!!!!!

でわでわまたクラビから
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ネパール
ネパールにてヒマラヤトレッキングに行って来ました。

標高5550mエベレスト展望台と言われているカラパタへ12日間かけて

まったくの未経験である4000m5000mを経験することになるのですが

まず4000mを越えた時点で町ではあんなに軽く感じたリュックがまるで別物のように重く感じた。

足が全然進まなくなり、息切れも激しく、宿についてからも寒さで夜中に何度も目が覚めた。

5000を超えると宿に着いてからも若干苦しかった。

そしてカラパタ到着予定日、朝7時に出発してバックを宿に預けてのスタートだったにもかかわらず、昨日以上に足が進まない。

一歩一歩が苦しくて半歩ずつがやっとだった。苦しすぎて「全然楽しくない!!」と何度も独り言を言ったのを覚えてる。

何時間歩いたかはわからないけどカラパタ頂上まで残り約200mの所で急にフッと体の疲れと息切れをあまり感じなくなった。

代わりに妙に眠い、歩いているはずなのに目を閉じてしまいたくなるような眠気だった。

ガイドのラクパにそのことを伝えると、危険だから下山しようと言う。

しかしカラパタの頂上はみえているのにここで引き返したらこの先ずっとモヤモヤを引きずって旅を続けることにちなる。

ラクパにあと少しだけと交渉し、登頂を再開した。

そこからはこのトレッキングに来てから最も最悪な時間だった。

蛍光灯がプツンと消えるように自分の意識が飛んでしまいそうな妙な怖さにずっと付きまとわれいたし、実際「マズイ」と思わせる状況もあった

一日に高山病で最低2人以上はヘリで運ばれている。毎日ヘリコプターが飛ぶのを見た。絶対アレには乗りたくない!!

とにかく意識をたもたないと…自分に言い聞かせて200m上がるのに1時間以上かかりなんとか、やっとの思いでカラパタに登頂した。

登頂した時はただただ嬉しい!とすごい!とゆう言葉しか浮かばなかった。今まで自分が見て来たどの景色よりも段違いにスケールが違いすぎて自分がここにいるとゆうことが少し信じられなかった。

そしてこのさらに上の8000m以上に立ってしまう人が同じ人間に何人もいるなんてもっと信じられない

でも今回僕は自分の限界を一歩超えられたと思うし、諦めなかったことでまた少し自分を信用することができた

ラスト200m、諦めなくて本当によかった!でもできれば二度と5000mより上には登りたくない。

ちなみにカラパタ登頂後、ガイドのラクパが高山病と風邪でヘリコプターで運ばれていきました。

僕はたまたまルートとスケジュールが似ていたシンガポールのグループに混ぜてもらい一緒に下山。

彼らのグループも始め9人の内3人がヘリを呼んだそうだ。一緒にカトマンヅまで戻りその後は夜中まで大富豪をしてワイワイしたりショッピングをしたりなんだか久しぶりに修学旅行にでも来たような気分だった。

彼らは昨日シンガポールに帰っていき、僕はとゆうと29日にカトマンヅに来てくれる彼女を心待ちにしています。

とりあえず今日はロッククライミングに行ってきます!!トレッキング中もロッククライミングのことが頭から離れなかった。楽しみ!

でわでわみなさん良いお年を!




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ラオス4
 ラオスヴァンビエンを離れタイバンコクに戻ってきました。



8日にネパールに飛ぶことにして今はそれまでの時間をのんびりバンコクで過ごしている。




2週間の予定だったラオスに気がつけば1ヶ月半いた。(内ヴァンビエン1ヶ月)




ヴァンビエンに着いてからの1ヶ月はとにかくロッククライミングに明け暮れた。




朝起きてクライミングスクールに行けばボスのアダムやヴァンビエンNo1クライマーのアポが忙しくその日のクライミングの準備をし、メキシカンのヘクターがギターを弾いて、ブリディッシュのヘングリーがのんびり本を読んでいて人数が揃ったらクライミングに行き、クライミングが終われば新しく出会ったクライマーを加えてみんなでワイワイスクールで飲むとゆう毎日だった。




正直まだ怖いと思うときもあるけど自分が登れなかったレベルの岩の頂上に立った特の達成感は言い表せないものがあるし、なにより同じクライマー達が人間的に尊敬できる人たちばかりだった。




ヴァンビエンでクライミングが大好きになったし今は毎日クライミングのことばかり考えている。




1ヵ月前は完全な雑魚だった僕もこの1ヵ月毎日岩に登っているうちに地元のクライミングインストラクターに強くなったねと言ってもらえるようになった。




ヴァンビエンを離れる日、とても寂しかったけれどもっともっと強いクライマーになって帰ってこようと強く思った




アダムスクライミングスクールのみんな、そして素晴らしいクライマーのみんな、本当にありがとう。とても濃い充実した1ヵ月でした。また会う日まで!!





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ラオス3
 アダムスロッククライミングスクールで毎日岩に登ったりトレーニングしたりしてます




昨日は日本人の男の子3人にガイドとして着いていきました。




アダムさん、俺まだクライミング初めて2週間っすよ…




初めてのガイドでしたが3人とも楽しんでくれてたみたいでなにより。




後もう2週間くらい滞在します。




ボスのアダム、アダムの妹ブッキー、メキシカンのエクター、イングランド人ヘングリー、犬三匹と僕。ワイワイ楽しくやってます。




今日も午後からトレーニング。










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ラオス2
 ヴァンビエンとゆう町にいます。




川があって山があって岩があって飯は安くて美味くて人は優しくて…




完全に楽園です。




朝起きてチキンサンド食って岩に登って昼飯食って岩登って夕日見ながら腹空かして帰ってきて仲良くなった友達とチキンサンド食って寝て起きてチキンサンド食って岩に登…




完全にチキンサンドとロッククライミング中毒になってしまいました。





ロッククライミングのためにあと2週間くらいは滞在します。




長々と書きたいことはたくさんあったけれど、最近パソコンの調子が悪く一日10分くらいしか充電ができなくなってしまった。




でも明日も岩に登れるからそれでいいのだ。


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ラオス1

 「乗っとっきゃよかった〜!!」

 

誰もいない道のど真ん中で1人後悔しながら何回か叫んだ

 


この日僕はカンボジアのスタントレンとゆう町を朝6:30に出発しラオスとの国境までリュックを背負って歩いていた

 


自分の足で国境を越えるとゆう壮大なロマンを感じたかった

 

 

とゆう訳ではなく。

 

 

ただ単に前日にチケット売り場で確認したバス代が高かったので歩いて旅費を浮かそうと思ったのだった。

 

 

適当に歩いていたらもしかしたら誰か乗せてくれるかもしれない

 


地図でさっと確認した感じ国境までざっと30kmってとこだろうか。

 

 

いくら前後にリュックを背負っているとはいえ朝の6時に出ればきっと昼過ぎには着くだろう。

 

 

フランスパン4本と2ℓの水を購入し、ワクワクしながら歩き始めた。

 


ラオスとカンボジアを結ぶ国道7号線は木と電柱と牛とたまに民家があるだけのシンプルな1本道

 

 

この日は天気もよく気持ちいい風が吹いていて歩くには最高に気持ちのいい日だった。

 

歩くこと2時間。地元の人に声をかけられ、「日本人か?何処に行くんだ?」と聞かれ

 


「ジャパン!!ラオ!!」と笑顔で返す。「ラオスまで遠いぞ。フィフティーン(15)kmだ!」

 

 

あと15kmか…楽勝だな。「ノープログレム!!」

 


そしてさらに歩くこと約1時間。横を通りかかったツーリストバスが停まってくれて、ただで乗せてってくれると言う。

 


しかし歩くのが気持ちよかったのと、この際全部歩いてしまおうと思い「ノーサンキュー」

 

 

そしてさらに約1時間後今度はミニバスが停まってくれた。今度はかなり強く乗るように誘われたが「ノーサンキュー」

 

 

とぼとぼと歩いていると日は高く登って熱さが厳しくなった。

 


これは中々しんどい…それに歩いても歩いても看板すら見えてこない。

 


ためしにもう一度地図でしっかり確認してみると30kmなんて生易しい距離じゃなかった。

 

 

たぶん60kmくらいはある…もっと早く気が付くべきだった。フィフティーン(15)じゃなくてフィフティ(50)だ!!

 

 

そりゃあバスのオッちゃん達も乗れ乗れ言うわ。

 

 

しかもやっと見つけたそれらしい標識には「スタントレンまで18km」

 

 

まだ18kmしか歩けてなかった…

 


後悔しながら歩いていると1台のバイクが僕の少し前で停まり、こちらをチラチラ見ている。

 

 

そして軽い決心をした様子でこっちに引き返してきた。

 


「ハロー」

「はろー」

「ラオスに行くの?」

「そうだよ」

「たぶん…まだ50kmくらいあるよ」

「うん、知ってる」

「たぶん…付くころには5時だよ」

「うん、知ってます」

「途中まで乗せてこうか?」

「うん、知…マジッすか!!!!?」

「僕はこの先の村で先生をしてて今から学校に行くからついでだよ」

「うおー!!ありがとう!!」

「よしじゃあ行こう」



彼の名前はヴィスタ先生。



このタイミングで完全に救世主だった。しかもなんやかんやで先生国境まで乗せてってくれた。


先生の背中に乗っけてもらっていてよく分かった。もしあのまま歩いてたら国境に着いたのは5時なんかじゃなくきっと夜だったと思う


そして救世主とお別れして国境からメコン川に浮かぶ島。ドンデット島へ。




ドンデット島はものすごくのどかな所で、散歩をして、ハンモックに揺られながら読書をし、夕日を見ながらパンを食べる。とゆうスローな時間を2日間程過ごし。その後、パクセ、ビエンチャンとゆう順に北上していっています。明日はバスでバンヴィエンとゆう町に行く予定です。






ラオスは緑が8割。町2割なんじゃないかと思う位自然が豊か。今いる首都のヴィエンチャンも全然首都っぽくない。でもラオスの人達は優しい人が多くて個人的には大好きです。




僕もラオスの人達のようにのんびりと、そして相変わらず自由に元気でやってます。

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カンボジア3
 今回は大荷物とゆうことと、ナラの奥さん、マカラン君、妹ちゃん、そしてカンボジアで再び再会した近ちゃんも一緒だったのでナラが友人にトゥクトゥクを借りてきての出発だった。




大人3人と子供2人、そして重めのリュックを2個積んだトゥクトゥクはかなり苦しそうだった。運転するナラも連日降り続いた雨で浅い川のようになった道路を進むのに神経を使っているようだった。




そしてトゥクトゥクに揺られること3、40分。地元の民家を抜けてそこからは緩やかな坂道を歩くと2年ぶりに村に着いた。




久しぶりだったので一瞬覚えていた景色との違いに戸惑ったけれどすぐに懐かしい思い出がよみがえってきた。




ナラの両親は相変わらず元気だったし久しぶりに僕の顔を見て嬉しそうにハグしてくれた。以前参加した結婚式の写真も残っていて、そこには楽しそうにしている僕と隼人さんの姿がしっかり残っていた。




なんかちょっと老けた気がする…




子供達も懐かしい顔がちらほらいてマカランのようにこの2年ですごく大きくなっていた。




幸い洪水の影響も村にはほとんど無いみたいだった。




でも、なんだか村人の数が少ない。




ナラに聞くと、今みんな稲刈りに行っているらしい、そして同時にあまり良くない知らせも。




どうやらみんな30kmほど離れた場所に行っているらしく、しかもそこが洪水の影響でバイクではなくボートでじゃないと行けないような場所らしい。




毎日夜中近くまで町で働いているナラと電話のない村。事前に今の稲刈りがどこで行われているのかを知ることは難しいことだったのかもしれない、でも正直すごく残念だった。





近ちゃんは3日、僕は2週間ほど村に滞在しようと思っていたけれど、仕事が手伝えないのに村に泊めてもらったり飯をご馳走になるのは気が引けた。




僕達は前日、ナラの村が金銭的にとても貧しく、子供の頃は一つの皿を兄弟何人かで分けて食べていたことも、村の唯一の収入源が米であることもナラ自身から聞いていた。




仕事を手伝えない状況で何日も村に滞在することは迷惑をかけるだけだと思ったのでナラに話して今日1日だけ泊めてもらうことにした。




それから村を散歩したり、町で買ってきたフットボールで遊んだり、のんびりとした時間をすごした。相変わらず子供達はハイパーかわいい。





夕方なるとおっちゃんたちが酒を飲みだした。





…この状況はまずい





案の定お前らもこっち来いと手招きされて小さなコップにそそがれた酒がグルグルとエンドレスで周りはじめた。





僕はお酒が弱くて、周ってくる度にグエ〜!!とか言ってる。そんな僕を見ておっちゃん達は爆笑してる。




おっちゃんたちは日本で言う定年を迎えた人達で今は仕事をしていない。




じゃあ毎日何をしてるの?とナラ伝いに聞くと「俺達の仕事は酒を飲むことだ!!」と笑いながら豪語していた。




でも普段は飲んだくれなのにここぞって時は片手一本で豚ちゃんを押さえ込んでナイフ1本で全部解体しちゃうんだからホントカッコいいよオッチャン達!(でも今回はお祝い事がなかったので豚の解体は見れなかった。)




空きっ腹でお酒を飲まされ、開始早々にダウンしているとナラに家に連れて行かされて夕飯を無理あり食わされた。こっちは気持ち悪くなってるのに「もっと食べなきゃダメだ」と言って僕の容器にポンポン魚をほうり投げてくるナラに一瞬殺意を覚えた。




飯を食い終わってダウンしている僕と正反対に、近ちゃんはおっちゃんたちとメチャクチャ盛り上がっているようだった。酒が弱いって損だなぁと思いながら眠りに入った。





夜中。猛烈な便意で目が覚めて起き上がろうとすると自分の腹に締め付けられるような痛みがあった。これはイカンと思って起き上がろうとするけれど痛くて上手く立ち上がれない。





何とか立ち上がってヨロヨロと入り口を探す。室内はロウソクが1本あるだけで後は真っ暗だった。入り口を開けて外に出ると案の定照明なんて無く、何も見えん。




しかも最悪なことに雨と雷が激しく唸ってた。





この火が消えたら自分終わる!!と思い頼りない光を守りながら少しづづヨロヨロ進んでいった。





適当な木の下をロウソクで確認して、ロウソクが消えないように軒下において、さっき確認した場所に戻って思いっきり噴射。すごい音と共になんかきっと色々出たんだろうけど暗くて確認できなかった。




その後何とか室内に戻り横になるけれど、腹の痛みは引くどころか増していった。




再び外に便をしに行こうと思ったけれど痛くて立ち上がれない。たまらなくなって隣で寝ていた近ちゃんを起こし、ハイハイで自分のリュックまで進み、中に入っている正露丸を手伝ってもらいながら飲んだ。




その勢いと、近ちゃんがライトを貸してくれたこともあって気力を振り絞り外に出てまた適当な木の下で噴射。今度はシャーっと水のようにでた。





なんかおかしいと思ってライトで確認すると、いつものブラウンではなく完全にイエローだった。





絶句。




その後何回も階段を下りたり上がったりしている僕にナラが気がつき起きて来た。カンボジアの腹薬を飲ましてもらい、便にすぐ行ける様に屋外で雨をしのげる場所に寝袋を敷いてそこに寝た。




ナラは何度か中に入るように進めてくれたけど、こればっかりは譲れなかった。





結局夜中に便に行くこと15回以上。なんとか痛みは引いてくれた。





次の日。正露丸と、お腹に優しい(らしい)ココナッツを飲んでゆっくりすごしたら大分良くなった。




午前中をゆっくりすごし昼飯をご馳走になり、みんなに別れを告げてその後またトゥクトゥクで町に戻った。




今回残念ながら仕事も手伝えず予定していた期間滞在することは出来なかったけれど、僕が旅に出るきっかけを作ってくれたこの村にまた来れて、何人かの人に再会することができたのはそれだけでも十分嬉しいことだった。



金銭的には貧しくてきっと楽ではないだろうけれど、そんなこと笑い飛ばして自分達の力でしっかり生活している強い彼らに会えたことで僕自身を見つめなおすきっかけになったし、彼らのような底抜けの明るさで、たくましい人間にぼくはなりたいと改めて思った。




ナラとはこれからも長い付き合いになるだろうし5年後10年後20年後だろうがなんだろうが許される限り僕はここに何回でも戻って来たいと思った。




幸いナラも「12月なら毎年すぐ近くの田で稲刈りしてるから手伝えるよ。旅が終わったらまた戻って来てね」と言ってくれている。




いつか、僕だけでなく僕の大切な友達何人かと共に村に遊びに行けたらなと漠然と思いながらカンボジアを離れることを決めた。




近ちゃんは今日の朝タイに。僕は宿で2、3日準備をしてラオスに向かいます。





近ちゃんには本当に色々支えてもらう部分が多かった。本当にありがとう。また日本で再会できる日を楽しみにしてます。




写真はこちらにUPしておきました。
http://www.flickr.com/photos/masahikotakada/
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